二森日和。

将棋をみた感想。たまにサッカー。ごくまれに雑談。




朝日新聞に高橋秀人さんの記事が載ったよ。(その1)

というわけで、最近社説がポエムじゃね?な
朝日新聞1/1付群馬版に載った記事について。
「上州フロントランナー」と題した連載記事の第1回目でした。

ほぼ1面独占で、2段組み。

上段に秀人さんの略歴とあらましを書いた記事が来て
下段にインタビューという体裁でした。

その1は上段の記事部分。
上毛に比べてちゃんと(?)掘り下げた記事になっています。


もう限界は決めない

高橋 秀人さん サッカー日本代表MF 25歳 伊勢崎市出身
課題見つめ、さらに上へ

 前橋商業高、東京学芸大と進み、教員免許ももつ25歳。身長182cmの恵まれた体格で守備的MFからDFまでこなす。近年、Jリーグで大きく飛躍した選手の一人だ。
 2011年にFC東京の主力に定着し、12年5月に日本代表として初出場。アルベルト・ザッケローニ日本代表監督も「バランス感覚に優れ、戦術眼を持つ。非常に気に入っている」と高く評価する。
 日本サッカー界に彗星のごとく躍り出た。しかし、群馬で過ごした高校時代、「自分がプロになれるなんて思っていませんでした」。

いったんはプロ断念

 小学校の卒業文集に夢を「プロサッカー選手」と書き、高校では1年から県選抜に。だが、3年次には国体チームに選ばれなかった。自分より上と感じる選手が大勢いた。卒業後、Jリーガーになるチームメートもいた。
 だから、大学に進み、保健体育の教師になるつもりだった。高校3年の1学期までの成績は、5段階で平均4・9以上。東京学芸大学に推薦入試で合格した。前橋商から学芸大への進学は異例だった。
 上京後も、一人暮らしで部活と教員免許取得を両立させる「普通の大学生の生活」を送った。午後8時まで練習した後、深夜2時ごろまでアルバイトをする日もあり、夜型の生活に。寝坊して、授業に遅れることもあった。
 試合に出る機会をつかみ始めた1年の秋、コーチに生活の乱れを指摘された。「お前はプロになれる素質がある」と強く諭された。
 「この人、何を言ってるんだろう」。最初はそう思った。だが、何度も言われ、熱心な指導を受けるうちに、徐々に心が動いた。教員への夢は持ち続けたが、アルバイトは辞め、すべてをサッカーに捧げるようになった。

足かせ取り払い成長

 自分の中の足かせを取り払うと、ぐんぐん伸びた。持ち前の体格に加え、味方のカバーや攻守のバランスを取る動き、戦術理解度の高さがチームに必要とされた。
 2年で全日本大学選抜に入り、4年では大学生の世界大会3位に貢献。没頭するほど評価が高まった。在学中に部は関東2部リーグに落ちたが、自身はFC東京の特別指定選手に。プロと練習を積むようにもなった。いつの間にかJリーグは身近なものになり、挑戦を決断した。
 卒業1年目のリーグ戦出場はわずか3試合。先発選手との力の差を見つめ、技術を磨いた。成果は表れ、J2に降格した翌年はリーグ戦32試合に出場。1年でのJ1復帰に貢献し、一気に花開いた。
 教師を望み、不安定なプロの世界に猛反対した両親も、今は月に2度はスタジアムへ。父広明さん(53)は「サッカー界に貢献できる人になってほしい」と話す。
 何か一つ、秀でた子に。両親はそう願い、「秀人」と名づけた。もう自分で限界は決めない。日本代表になってなお、「自分のパフォーマンスに満足がいかない」という。課題を見つけては克服し、上へ、上へ。秀でているのは、自分を見つめ、努力し続ける才能だ。

◆ サッカー日本代表MF。
  冷静な判断で危機の芽を摘み、正確なパスで攻撃の起点にもなる。
  前橋育英高出身のMF細貝萌選手(ドイツ・レーバークーゼン所属)とともに、日本代表選手としても期待される。
◆ 伊勢崎市で生まれ育った。趣味は温泉に入ること。
  所属クラブのFC東京では、後輩らと「読書部」を作る。
  将来、体育教師となり、子どもたちを指導する夢もまだ、捨てていない。

その2(インタビュー部分)は、こちら