二森日和。

将棋をみた感想。たまにサッカー。ごくまれに雑談。




例のドーハを思い出したヨルダン戦。

ドーハの悲劇」の時、私はまだ学生でしたが、
日本が!初めて!ワールドカップに出るんだ!
と、どきどきしながら深夜まで見ていて
そしてひどい目に遭いました。

スタジオに戻った時、解説をしていた岡田さんの
悄然とした顔が忘れられん。
そして翌朝の、ダメな夜更かしをした時の
口のねばねばした感じ。
あの苦さはなんなんでしょうね。

その時の、本当に酷い夜を思えば
まだなにも終わってはいないし、
なんら絶望することはないのだけれど、
朝起きた時のどうしようもない気持ちはちょっと似ていた、
ような気がします。

私の中でのアウェー感というのは
こういう狭い世界のお話。


基本的には、ゲームがどうこうとか
チームがどうこうとか、それはもちろんいろいろあるんだろうけれど
なにをやってもトータルではうまく行かない、
そんな感じが前半から漂ってました。

ヨルダンの縦に早い展開に、代表もあわせてしまったのか
同じようなリズムの繰り返しで、
結果、序盤から間延び。

バックラインに負担がかかるというか、
ボールが飛ばされるたびに、個人戦を強いられる形となり
その時にことごとく縦を切れない。

ヨルダンの選手は、初速をそのままにぶつけてくるような勢いがあって
それはそのまま代表に
心理的な距離をつくったような感じ。

そういうちょっとしたずれが
例えばポストに嫌われるシュートとか、
ラストパスのわずかな差に表れる。

それをそのまま、空気と言っていいんじゃないか。

いろんなあやが付くけれども、それを含めても、
代表はアウェーにのまれて、そして立て直すことができなかった。

そのままにして、代表は敗れました。

変な話だけれど
こういう苦さを、私は待っていたように思います。

「なんとなくワールドカップに行けてしまう」という
現実離れしたような空気を、いちどぶちのめすような衝撃を。
絶対に負けられないという言葉が、
浮ついて聞けなくなるような空気を。
全方位にダメだしされて、初めて見えるような強さを。

そのようにして、代表は作られるわけじゃないにしても
自分自身を重ね合わせられる、文字通りの「代表」を求めるのだとすれば
そのチャンスはまだ転がっていると思う。

よくわかんないけど、そんな感じです。