二森日和。

将棋をみた感想。たまにサッカー。ごくまれに雑談。




鎮魂の日に。

あえて対立の構図を描き出して、
たとえば問題を原発の有無だけに絞り込むような
そういう政治的な発想で、
この日を振り返ることができるだろうか。

私たちがすべきことは、
心を整えて、あの時、あの状況で
何ができたか、何をすべきだったか、
そしてこれから何ができるのか、を
それぞれ想うことだと思ってて、
私の場合は、立場上、防災について考えることが
それなのだと思うのです。
震災の時に思ったことも、それだったから。


・・・みたいなことを、それはもう偉そうに
書こうと思ったのですが、先ほど相方に

「じゃあ、いまの防災担当大臣って、誰?」

と聞かれて、答えられないわけです。
本当にわからない。

それだけじゃないとは思うけれど、
認識が下がっているというか、
心の中で、あの日ぎゅっと固めた想いが
いつからか風化しているのは、間違いなくて。

それが、その風化しているという事実が
うまいこと言えないけれど
じわじわと、ショックでした。

「忘れない」「忘れてはいけない」。
そう簡単にいうけれど。

大切なのは「忘れない」ことよりも
「風化していることを認識する」ことなんじゃないかな
と、思う。

あの日、木端微塵にされた
「自分は、この社会は大丈夫だ、なんとなく」
という意識が、性懲りもなく私の中で芽生えている。

それに気づかされたことが、今年の私の3.11。