二森日和。

将棋をみた感想。たまにサッカー。ごくまれに雑談。




フェアプレーの精神と引き分け狙いについて。


ベネズエラ戦をみながら、こんにちは。

オリンピック、おわっちゃったなあ。(いまさら)
なんだかんだ言って、すごいですよね、オリンピック。
はんぱねぇですよね、オリンピック。
はあ。

さあ、高校野球を眺める作業に戻るんだ。

サッカー男子の3決については、
書いていたのですが、なんだかトンデモな方向に変わってしまったので
まだまとまっていません。
後日また、それっぽい総括が出せたら出したいと思います。

今回は、たまたま某紙で大住良之さんのコラムを見かけたので
オリンピック期間中に波紋を投げかけた大住さんの日経コラム

引き分け狙い…なでしこ、フェアプレー精神はどこへ

について、あえて踏み込んでみようと思った次第。
私自身、避けて通れない事情があったりするのです。


記事は、女子サッカーの一次リーグ第三節・南ア戦で
佐々木監督が選手に「引き分け狙い」を支持したことについて
「フェアプレーの精神に反している」と批判したもの。

これについては、各方面から大きな反響があったそうで、
今日のコラムによると、
大住さん自身、相当の反論を受けたようです。

実は、約5年前、規模は極めて小さいのですが、
私自身も同じようなケースで総スカンを食らったことがあり
なんとなくその時のことを思い出しました。

記事については、なぜかログが残っている
拙旧ブログ(コメント欄を含め)をご参照いただけたら。

「最強チーム条項」再考。
・ そんな気はしてた。

問題の経緯については、ウィキペディアをご覧くださいませ。

川崎のメンバー大幅変更に対して、会長やチェアマンがかみついた、
っていう話の中で、書かれた記事だったのですが、
私の意見は、要約するならば
・ 川崎のメンバー入れ替えは、少なくとも補足基準に沿ったものであり
 会長やチェアマンの批判は不適切
・ 試合のベストメンバーは、その時々の状況によって異なるため
 一概に規定することは困難、戦略により「全力」は変わりうる
・ ただし、フェアプレーの精神をある程度保障しているベスメン規定を
 あえて廃止する必要はないのではなかろうか
こんな感じだったでしょうか。

当時は、「そんな規定は廃止しなさいよ」と川崎に同情する声が
(少なくともJサポの間では)多数の状態でして、
そんななかで私は
補足基準には問題はあるけれど、
全力でプレーすることに関して何らかの縛りがなければ
八百長を蔓延らす可能性をはらむんじゃないか
なんてことを言及し、
「んなあほな」と散々叩かれたものでした。

が、図らずも今次オリンピックの「バドミントンのアレ」で
そういう意識の欠如というか無視が生む危険性というものが
明らかになったのではないかな、と思います。

ともかく。

改めて自分の文章を読んでみると
ネタが上滑り
いろいろ気恥ずかしいものがありますが、
意見としては当時とほとんど変わっていません。

その上で、今回の「引き分け狙い」を考えるとき、
私の意見としては
オリンピック制覇という大戦略に照らして
一番合理的な登山ルートを選択すべく
その時における最大の効果を勝ち取ろうとした結果の指示であり
「フェアプレー」の観点からも許容されるべきだろう
ということになります。
多分、世間一般の感想と大差ないのではないかなと。

少なくとも、彼女たちは、求められる理想と目標にチャレンジする中で
トータルとして全力のプレーをしていたと思いますし。
結果によって風向きは大きく変わっていたと思いますが
仮にベスト8戦で負けていたとしても、
私はその判断を責める気にはならなかったでしょう。

もっとも、なでしこの件は、
あくまでも「許容される」ってことであって
フェアプレイの精神に疑義がないわけじゃない、と思います。
個別の状況については、それぞれ妥当性を判断すべきだと思いますし
全ての場合に同じことが許されるわけじゃない。

今回の判断が「どういう場合でも当たり前」と割り切ってしまえば
極端な話、例のバドミントンのようなことになりうる。
立場の有利・不利で結論をゆがめていい問題でもない。

要するに。
スポーツの根幹であるフェアプレーの精神に
疑義が生じているのであれば
大住さんの意見はあってしかるべきだと思うのです。

内容的には全く同意はできませんが、
フェアプレーの原則に殉ずる意見は、
折に触れて出されるべきだ。
そしてそういう意見を受容してこそ
フェアプレーってものを考えられるんじゃないだろうか。

今回、「引き分け狙いなんて当たり前のことだぜ」という感じで
戦略的見地から競技の精神を逸脱することを
全て正当化するような言説でもって
大住さんの意見を全否定する流れが数多くみられましたが
それって、よほどフェアプレーの精神から
離れていると思うのです。

だからこそ、佐々木監督が“苦渋の決断”と
表現したことは、誇るべきことなんじゃないかと。

Play to the Limit.

スタート位置はぶれるべきではない。
その上で、最善を尽くすべく、選択をすること。
そして、「当たり前」に逃げなかったからこそ
なでしこのプレーは、輝いていたのだと思います。