二森日和。

将棋をみた感想。たまにサッカー。ごくまれに雑談。




クロマグロとEUの南北問題。


私は海のない群馬に住んでるんですが、
群馬は一世帯あたりのマグロ消費量が
なぜか全国4位なんだそうです。
クロマグロはどうかしらん。

察するに、群馬のひとは魚を知らないので
マグロのわかりやすさにひかれてしまうのでしょう。

海産物がやたらにおいしい札幌に住んでいた私にしてみれば
それはいろいろもったいない気もするわけですが
(それでも函館の人にイカが白いといわれてしまうのですが)
いずれにしても、今回のCITESのクロマグロをめぐる問題について
受益者じゃないとはいいきれない。
マグロとか、すきですしー

というわけで、今回の会議では大西洋産クロマグロの禁輸措置が
(事前の予想に反して)否決されました。
ともかく、クロマグロをめぐる国際的な状況の一端が
いろいろと示されたということは、
我々の食生活などを見つめなおすという意味でも
よかったんじゃないでしょうか。

それと同時に、思っていたことは、
いつも「環境問題」が語られる時の、
なんともいえない接地感のなさってやつで。

それは今回、EUの南北問題が招いたともいえる
「環境主義」の敗北で、きわめてよく見えた気がします。


今回の問題だけがそうではないですが
この話は極めて政治色の強い話ではありました。

たとえば、私の過去のスクラップを眺めてみると
モナコがクロマグロの禁輸を最初に図ったのは、昨年の8月でした。
しかし、その際はEUが反対に回り、ほとんど話題にもならなかった。

事態が一変するのは、今年2月に入ってからです。
漁業関係者がいるために禁輸に踏み切れなかったフランスが
モナコ案の原則支持に回り、EUが禁輸方向でまとまった。
そしてアメリカも支持を表明。

宗主国としてアフリカに影響力をもつEUと
環太平洋諸国に一定の基盤をもつアメリカが支持に回ったことで
国内メディアの論調は一気に悲観的になりましたが
結果を見てみると、必ずしも(この問題に関しては)
日本が思うより国際的な傾向が環境主義国寄りになってなかった
ってことなんでしょう。
EUやモナコにそこまでの説得力はなかった、と。

そもそも、フランスが2月に禁輸支持に転じたのは
サルコジ政権の支持率が低下する中で、
3月に行われる地方選挙を見越してのことだった、
と見る向きがあります。

EUの北側諸国では環境主義が浸透しつつあり、
地中海側の論理を振り回すだけではいられなくなってしまった、と。
もともと、閣内ではクロマグロ保護派が多数であり、
同じ3月のCITESと選挙をにらんで転換したと考えれば
比較的スジが通ります。
実際、フランス南部でマグロ漁をやってるのは
1000人足らずだそうで、転換が容認されやすいってこともあったんでしょう。
(もっとも、この地方選で与党は負けたんですけどね)

ただ、PIGS(ポルトガル、イタリア、ギリシャ、スペイン)と揶揄される
地中海に面したEUの南側諸国とフランスは、
漁業産業を守るために、基本的にこれまで
クロマグロの漁獲数の削減にすら消極的でした。
ICCATでは、日本の大幅削減案に反対し続けた。

今回、EUはクロマグロの国際取引禁止でまとまりましたが
禁輸に積極的なEU北側諸国に対して、
EU南側諸国の反発がなかったわけではないらしく
結局、「1年間のモラトリアムを設ける」という条項を付けざるを得なかった。
そのために、EUはEU案が成立しなければ、
厳格な国際取引を禁じるというモナコ案に
乗るわけにはいかなくなったという状況になってしまったわけです。

ニュースでは、ほとんどモナコ案の採決結果しかみせていませんが、
実はあの前にEU案が採決され、否決されています。
その結果、モナコ案に大量の棄権票が入って大差の否決の一因となりました。

結果的に見れば、日本は漁業国を中心によく説得し
そのうえで速攻採決に持ち込むことで南北EUの足並みの乱れをついたわけですが
その事実にこそ、ひどく大きな問題が横たわっているように思えます。

つまり、今回の件ではクロマグロ漁業の当時国でない国が、
「クロマグロを絶滅に至らしめる」として漁業国を非難しているという、
きわめて単純で当たり前の事実です。

そこから見えてくるのは「環境問題」と名付けられた
多様性の非受容の構図です。
言いかえれば、自分たちのありように
大きくかかわらないレベルでのみ、あるいは見えない範囲でのみ、
「地球環境を大事にしたい」という意識にみえてしまう。

問題を起爆させたフランスこそ、もともと南部でクロマグロ漁を行っていますが
今回はマグロにたいしてゆかりのない北部の論理に流れた。
その北フランスでは、フォアグラが動物虐待の極致だと言って
PETAなどが非難していますが、
「クロマグロを使用しません」と訴えるシェフらが
「フランスの文化だ」として一顧だにしてません。

クロマグロをワシントン条約にかけたモナコ
地中海に面してはいますけれど、
基本は億万長者の住み込む国家であって
輸出業としての漁業にはほとんど関与していません。
一方で、カジノを設け、市街地でF1をやったろうという
奔放なメンタリティを持っている。
そこにはクロマグロとともに生きているという
接地感はありません。
もっといえば「環境問題」という道楽にいそしんでいるようにみえる。

「道楽」としての環境問題それ自体が悪い訳じゃない。
背景にあるのが資金だろうが権力だろうが、
問題に明かりを当てる意義はあると思います。
だた、こういう道楽的な「環境問題」が
セレブのスタイルのように語られ始めた結果、
環境問題の背景にある「生活」や、その差(もっといえば格差)を
「先進性」の差ととらえ、差別し、攻撃することに
正当性を与えることにつながっちゃいないか。

環境格差が逆に差別的な構造を生むという皮肉は
よく語られることですけれど、EUの南北問題を通じても
感じられることのように思えます。

地球環境を叫べば叫ぶほど、その主張が浮世離れしてしまうのは
ある意味仕方がないことなのですが、
浮世離れしたほうが先進性だと考えてしまうのはおかしい。

それは、クロマグロのケースでもわかるように、
現実に生業としている人々に知恵を絞らせることではなく、
悪部をすべて摘出してしまおうという極端な思想に結びつきやすいからです。

そして、浮世離れに先進性をみるその構造こそが「環境主義」と同一だと
考えるメンタリティもまた、危険なもののように思えます。

昨日の報道ステーション寺島実郎さんが、クロマグロ禁輸否決に触れて

「日本は昨年のCOP15で環境主義的な方針で世界をリードしたが、
 今回は途上国側の論理にすり寄って実利主義的な交渉を行った。
 その整合性をはかっていく必要があるのではないか」

などとコメントしていましたが、全く共感できない。
「環境主義的」な観点から見てしまうとそうなってしまうのでしょうが
環境に関する問題は、経済問題のように
単純に先進国と途上国などと色分けできるものではありません。

EU内のバランスもそうですけれど、
たとえば捕鯨を厳しく批判するオーストラリアは、
今回、禁輸への反対票を投じました。
ホッキョクグマやアザラシ猟の問題を抱えるカナダもしかり。
ともに環境への関心が高い両国ですが、オーストラリアは日本や中国に
石炭を大量に輸出していますし、カナダのタールサンドもGP等から
非難の対象となっています。

環境問題とは、実利が絡み合う国家同士のモザイク構造です。
それは、他の外交的課題と何ら変わらない。
それを先進性で2分し、高所から見下ろして排除するという方向が
正しい対処法だとは、どうしても思えません。

環境問題は、地道にそれぞれの問題を解きほぐして行く課程です。
地球環境を救うためなら、何をしてもいいわけじゃない。
それぞれの立場をいかにハードルを下げていくのか。

そういう接地感をもつスタンスがなければ
環境問題すら、ただの「スタイル」だけで終わってしまいかねません。