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二森日和。

将棋をみた感想。たまにサッカー。ごくまれに雑談。




護憲論のがっかり感がはんぱない。

雑記

憲法96条の改正について、朝日新聞の2/10付コラムに
こんな記事が載りました。

 ・・・「憲法とか立憲主義というものは、そもそも少数者の人権尊重から始まったもの」である。
 過半数で物事を決める民主政治は、少数者を切り捨ててしまう危険を常にはらむ。多数者が横暴にふるまい、専制に走ったりしないよう、その権力にあらかじめ歯止めをかけておこうというのが憲法である。それが、時の多数者の意向で簡単に変えられるのでは理屈にあわない。
 民主政治は時に過ちを犯す。歴史を踏まえた苦い洞察が、憲法の背後にはある。
 ・・・憲法96条は、ただの手続き規定ではない。憲法の中身、その本質と切り離して取り扱うことはできない。
政治断簡『憲法96条改正 単なる手続きではない』(朝日新聞 2/10)

なるほどなーと、素直に思えます。

でも、違和感があるのです。
なぜなら、同じ朝日新聞の1/12号で主筆(当時)が
こう書いていたからです。

 ・・・憲法9条では自衛隊の説明がつきにくいことから、憲法のあり方が論じられてきたのは無理もない。湾岸戦争を機に自衛隊の海外活動に道が開かれ、議論はいっそう盛り上がった。9条を改めることがすべて危険だとは思わない。
 それは朝日新聞にとっても悩ましい問題だった。最近では憲法施行60年にあたって真剣に議論を重ねたが、少々わかりにくさがあっても9条は変えず、自衛隊は軍隊としない方がよいと結論づけ、2007年5月3日に「社説21」をおとどけした。
 9条は過去に軍国主義で失敗した日本のメッセージであり、自衛隊は国民に広く定着、そのことが周辺国にも安心感を与えてきた。日米同盟は基本だが、日本が名実ともに軍隊を持てばイラク戦争のような間違った戦争にも参加の可能性が高まる。そんな考え方だ。自衛隊をきちんと位置付けるため、準憲法的な平和安全保障基本法の制定も唱えた。
『「改憲」で刺激 避ける時』(朝日新聞 1/12)

これも「なるほどなー」と思ったりもします。
しかし、私にはこの2文が全く別の事を言っているとしか思えない。
少なくとも同一の憲法を論じたものとは感じられないのです。

最初のコラムでは、憲法は硬性であるがゆえに
時の権力に左右されず、少数弱者を切り捨てるのを防ぐと説く。
「簡単に変えられない」ことが憲法の本質だから
96条をただの手続きと考えること自体がおかしい、と。

それはわかるのですが、同じ視点で2番目のコラムを読み直すと
どうしても矛盾を感じざるをえません。
「憲法を変えない」ことは一致しているけれど、

「わかりにくい」憲法9条は変えないかわりに、
自衛隊をきちんと位置付ける
平和安全保障基本法を制定する

という。
つまり、憲法には手を付けないけれど
その性格を補足する法律を作って補完するということなのでしょう。

でもそれこそ、最初のコラムで否定していた
憲法の性格を「時の多数者の意向で簡単に変えられる」状況
そのものなのではないだろうか。

型式的には憲法には手を付けないけれど、
時の政権の解釈によって「自衛隊のあり方」を規定さえできてしまう。

後のコラムを素直に読めば、現在の「集団的自衛権」を巡る
「国家安全保障基本法」の可能性を容認しさえする。
むろん「憲法の精神にのっとって」基本法が規定されるにしても
その精神は立法府の多数者が原則的には規定しうることにならないか。

誤解を恐れずに言えば、私は改憲か護憲かで言ったら
どちらかというと護憲という立場になります。
改憲の意義を否定するほど強い想いはないが、
改憲に莫大なエネルギーを費やしても
硬直した芋づる式の下部組織をなんとかしなければ、
色んな物事が動かないと思っていて、
だったらそっちを何とかしようぜ、っていう気分ですし
総合的に見れば、改憲で解決される問題よりも
作られる問題の方が多い気がするからです。
そのバランスの如何によっては、気が変わるかもしれないが、
少なくとも
「政治は問題を解決するもの、作り出すものではない」
という民主政権の教訓からしてみても
現状では変える意義を感じないという「気分」です。

でも、それを説明すべき護憲側の論理の
がっかり感がはんぱない。

これら二つのコラムは、一見「なるほどなー」と思う。
思うのだけれど、依拠している論理性は
「空港ができたら軍国主義が進む」というような、
少なく見積もっても半世紀前の世界観だ。

そこに意味がないとは言わないし、
むしろ叫ばれる類の言葉だとすら思うけれど
その感触は現実の火にさらされず、
血が通わないゆえに融けずに残ってしまった
氷のそれを感じさせるのです。

それぞれにはなんとなく納得させられるけれど
あわせてみたら「いいことを言っている」だけに終わってる気がする。
それで、現実社会を生きている人を説得できるだろうか。

良くも悪くも「改憲の危機」に対抗する言説は
それ以上に怖い現実が見えてる以上、もうどこか浮いてしまった。
そろそろ、堂々と改憲のネガティブを煽るのではなく
純粋にメリットを語る、地に足のついた護憲論が欲しいなと思う。

でもその言葉が、今のところみえない。

「右傾化」と騒ぐより、その批判者が
自分の言葉をもてないことのほうが
よっぽど不健全なんじゃないだろうか。