二森日和。

将棋をみた感想。たまにサッカー。ごくまれに雑談。




「国家公務員はダメだけど教師なら許す」的ロジック。

結論のない、わけのわからない雑感です。
最初に謝っておきます。ごめんなさい。

1/27付の朝日新聞に、退職金確保のために
早期退職する教師をフォローする社説が載りました。

デジタルになってからの朝日の社説は2日たつと
有料記事に格上げされてしまうのでリンクは張りませんが、
要するに

  • 働き続けると給料を計算に入れても損をする仕組みにすれば、辞める人が出るのは予想できた。「生徒を置き去りにして辞めるなんて」と保護者が驚くのはわかるが、損しても働けと強いることはできない。制度設計の問題が大きい。
  • この騒ぎで教師不信を募らせる人もいるが、たとえば埼玉や佐賀では早期退職しなかった教職員の方がはるかに多い。辞めた人にも、どんな事情があったかはわからない。

というわけで、この問題の本質は「制度の問題」であって
やむなく退職することを選んだ教職員に非はない、というものでした。
(朝日は1/28付社会面でもフォローしております)

退職金騒動に関する私のスタンスは、すでに書いた通り
これについては単に個人の生き方の問題であって
「公務員」における公私のとらえ方で変わってしまうし
仮に退職を選ぶ人がいらしてもそれはそれでありうる話だよね、
しかも退職にあたってまさに公共性から離れるという意味からしても
特に問題はないでしょうよ、という感じです。

だから、朝日社説についてとやかく言うことはないのですが
ただ、思うところとすれば、社説で教職員だけを扱っているところに
何らかの含みは感じたりします。
例えば、愛知や兵庫では警察官も大量に退職を希望してる。


早期退職の関係で、たぶんこんなに問題がこじれているのは
おそらく最初に露見したのが教職員だったからなんじゃないかな、
と思ってしまう部分があって。

たぶん、国家公務員が同じことをしていたならば
こういうフォローすらなく、叩かれるだけで終わるように思うのです。
実際に実例があります(これは毎日の記事ですが)。

国家公務員:2万人、退職金満額か 減額法案、不成立の可能性

(前略)
来年3月末に退職する約2万人の公務員が満額の退職金を受け取り、約130億円の“もらい得”になる可能性もあり、政治の混乱は公務員改革にも大きな影響を及ぼしそうだ。
(中略)
来年1月召集の通常国会で早期に成立すれば、来年3月末の退職前に施行できる可能性がある。しかし、総務省によると、法施行から退職までの期間が3カ月に満たないと、施行前に「駆け込み退職」して満額を受け取るケースが増え、各省の業務にも支障が出る恐れがあるという。逆に、退職まで給料を3カ月分もらえるようにすれば、駆け込み退職のケースと合計額が大きく変わらないため、スムーズに新制度に移行できるとみている。
(後略)

この記事からわかることは、少なくとも国家公務員の場合においては

  1. 昨年の11月段階で「駆け込み退職」が生じる可能性が指摘されていた
  2. 退職金の満額受領が“もらい得”と考えられていた

ということです。

この記事には悪意と言わないまでも、
国家公務員が満額の退職金を受給することに対して
不公平感が生じうるというニュアンスが感じられます。

でもって、今振り返っても
おそらく国家公務員法改正に関する閣議決定や
三党合意がなされた時には、
「国家公務員のもらい得は許さない」という空気が
確かにあったように感じるのです。

しかし、最初にニュースとなったのが教師だったために、
問題の切り口が大きく変わってしまった。

それが「教師なら仕方ない」ロジックというか。

たぶん、早期退職を図る国家公務員の方にだって
「どんな事情があったかはわからない」けれど
おそらく問題にはならない。
でも教師なら
「やむを得ず退職せざるをえない」
可能性がある気がする。そこに多分差はないのに。

このロジックを使えば
「やむを得ず天下りをした役人」が
「今仕事を失うと家族が路頭に迷う」ために
税金が投入されることが社会的に救済され得るのですが
きっと、というか絶対、そうはならないでしょう。

シンプルな割り切りはできないけれど
たぶんそこには、この社会のちょっとした
権力バランスがあって。
それがこういったロジックというか言説を
生じせしめるのだろうけれど、
今の社会は、そういうちょっとした部分に
「不公平を感じさせる」センサーがあったりして
だからこそ、気を付けなければならないなと思います。

時にそのロジックは、人をよい方向に導いているはずが
権力性を感じさせるがために、意図せず人を傷つけたりもする。