朝日新聞に高橋秀人さんの記事が載ったよ。(その2)
大人の女はかっぱ巻き!(あいさつ)
音楽はP3P/P4/P1Pのボーカル曲から適当に。
目黒将司さんは神や。
群馬の元旦・高橋秀人スペシャルもこれで最後。
朝日新聞1/1付記事のうち、インタビュー部分を登載します。
記事部分(その1)はこちら。
故郷では心が磨かれた/教師になる希望は今も
高橋さんに聞く―サッカーを始めたのはいつごろですか。
小学1年の頃、友達に連れられて始めました。最初は下手でしたけど、小学5年くらいになると「ボールを持ったら誰にも止められない」というくらいに上達しました。―それでも、大学進学を選びました。
僕は高卒ではプロになれなかったし、目指してもいない。学校の先生になりたかったんです。大学のサッカー部でもまれながら、教員採用試験にも初年度で合格する、というプランがありました。
大学1年の頃から、部のコーチは「お前はプロになる素質がある」と言ってくれました。僕自身は「おいおい、プロなんて無理に決まってるだろ」という感じでしたけど。
大学の部では「自分で考えて、課題と向き合え」と言われ続けました。自分と向き合った4年間で「道を明確にして、少しずつ成長する」という考え方を学んだ。そこが分岐点だったんだと思います。―最近の活躍はめざましいですね。
周りからの評価はひとつの成果です。一方で、自分が「順調に成長できているか」というと、その評価とイコールではないと思います。自分のパフォーマンスには波がある。満足はいっていません。
課題がなくなることはないし、克服しても、違う課題が出てくる。どの人も、どの人生も一緒。自分と向き合い、悩みながら成長していく。サッカー選手冥利に尽きます。―プロの選手として心がけていることは。
24時間、サッカーのために生活するのが、プロとしてあるべき姿。多くの選手は僕より才能がある。体への負担を考えた生活態度や姿勢を意識しなければいけない。すべてを人よりも準備した状態で臨まないと、生き残れない。
―高校までに群馬で培ったものはなんですか。
心が磨かれました。中学までは、走ることやあきらめないこと。高校では、謙虚さや人としてのあり方。サッカーの技術を学ぶための根底にある、走ることや勝負に対する姿勢が培われました。人としての土台を築いてもらいました。
小学校の頃は、反復練習で、9回成功しても10回目でミスしたら「最初からやりなさい」と指導された。何かをないがしろにせずに、「100点満点じゃないと嫌だ」という性格になりました。―将来は、やはり先生になりたいですか。
引退後は、学校の先生か、小中学生のコーチをしたい。教師になる希望は今でもあります。サッカー選手、僕は天職だとは思ってないので。
教えることが好き。プロの指導者もやってみたいけど、やっぱり子どもとふれあいたい。子どもの成長を見守り、自分の成長につなげたい。―地元にはどのくらいの頻度で戻っていますか。
年に10日も帰れないんじゃないかな。実家はいいですね。たまに帰れば、親もごちそうを食べさせてくれる。生まれ育ったところで昼寝をするのが、一番落ち着きます。
―県民にメッセージをお願いします。
FC東京でサッカー選手をして、代表でも活躍すれば、メディアに出る機会がある。「群馬出身の人ががんばってるんだ」と、見ている人の活力になりたいです。