二森日和。

将棋をみた感想。たまにサッカー。ごくまれに雑談。




藤井猛九段、「藤井システム」を語る。(第1回)

藤井システム」解説【第1回】【第2回】【第3回】

という名の「藤井九段による藤井システム解説」(なんなの)。

※注 3回に分けて書きおこしていきます。今回は第1回目です。
  
佐藤康光王将(当時)と渡辺明竜王による第62期王将戦7番勝負は
第3局が2/13・14の日程で実施されました。

で、ニコニコ生放送では、二日目の解説として
藤井猛九段が解説役として登場、メールコーナーで
藤井システムについて、わりに時間を割いて話をしています。

それについては、スレまとめを以前に作ったことがあるのですが
自分用のメモとして、藤井システムに関する部分の内容を
(できる限り端折って)書き起こしておこう、
と、思ったのが本エントリです。

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いちおう、注釈をちょくちょく入れていますが、
合っている保証はないので、参考程度に見ていただければです。


聞き手は同門の藤田綾女流初段。

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質問メール

藤井システムについて、完成するまでの構想段階のお話や
実戦で使用した時の思い出などをお聞かせ願えれば
仕事を休んだ甲斐があります。

「いろんな偶然が重なった」実戦投入まで

平成7(1995)年の12月に初めて指したんです。
その年、私は24歳でしたが、連続昇級してB2に上がりました。

C2、C1の時は、相手に居飛車穴熊を指されるのは
そんなに嫌じゃなかったんですが
B2で指してみると、居飛穴が脅威に思えた。
B2クラスに居飛車穴熊を指されると、勝てないんです。

相手に居飛車穴熊を組まれても、7割は勝つ方法を考える必要があった。
まあだから、それがきっかけですね。

藤井システムは、結局は毎回指すことになったのですが
その当時は、立派な戦術である必要はなかった。
ワンポイントリリーフ、「今日は居飛穴に組まれたくないな」ってときに
たまに使えればいいというイメージだった。
そのために、日々何かないかな、と考えていました。

奇襲的に使うことを想定していたから、あんな奇抜な形となった。

――当時はみなさん藤井システムを指されていましたよね。

いや、周りが指すようになったのは、私がタイトルを取ってからですね。
最初は私も特に宣伝しなかったし。

井上慶太さん(九段・当時六段)との対局が有名じゃないですか。

井上慶太九段

f:id:nisin:20130714235734j:plain藤井システム被害者の会。
1995年の順位戦B級2組で藤井六段(当時)に47手(!)という短手数で負け、
その棋譜(後述)は未だにさらされることになった。
井上九段の名誉のためにいうと、この年の順位戦は9勝1敗でB1昇級。
唯一の負けが藤井六段との対局で、
だからこそ、この対局の奇跡的な内容がさらに際立つこととなる。

当時、井上さんは居飛車穴熊しかやらなかったんですよ。
今はいろいろ指されますけど、当時は絶対居飛車穴熊なんです。絶対。
そんな人とやりたくないじゃないですか(笑)

色んな戦法やる人と、「あ、今日は穴熊か」っていうのならいいんだけど
もう絶対居飛車穴熊なんですよね。
で、順位戦で、B2に上がったばかりで苦戦してて
「井上さん、絶対居飛車穴熊やってくるな、やだな」
と思ったので、そういう時こそシステムを使おう、と。
でも、それがうまくいっちゃった。

第54期順位戦B級2組7回戦 藤井-井上

藤井システム初披露とされる棋譜
1995年12月22日の対局で、居玉のまま
端歩、左銀、角、桂が穴熊へ向かう後手玉に殺到する。
なんど並べてもすげい。

それが運ですよ。運。
先ほどから、(角交換四間飛車について)
私は負けてもなんでも指し続けろとか
偉そうなことをいってましたが、
でも多分、藤井システムはその時負けていたらもう絶対指さなかった。
その頃はそんな志はないですから。

――じゃあその対局の結果次第で。

その対局が、奇跡が起きたような勝ち方だったんですよ。
普通はプロ同士ではありえない。
だけど内容があまりにもすさまじかったんで、なんかおかしいぞと。
これは普通じゃない。将棋ではありえない勝ちかただ。

もしかしてただの奇襲戦法ではないのかもしれない。
そう自分で勝手に思って研究を進めることになった。
いろんな偶然が重なったんですよ。

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