二森日和。

将棋をみた感想。たまにサッカー。ごくまれに雑談。




第2回将棋電王戦第4局 Puella α-塚田泰明九段 棋理の果ての希望。

船江五段が敗れ、
棋士側に後がなくなって迎えた電王戦第4局。

対局前、「塚田九段が勝つイメージが湧かない」
というのが本音でした。
いろいろ対策を立てたとしても、
後手番ですし、なかなか思うような展開にはならないだろうと。

そして実際に厳しい展開となり、
私も正直なところ、勝負をあきらめてみていました。

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しかし、ひとり、塚田九段だけはあきらめなかった。

万策が尽きたと思われたところから
人間側の反撃が始まり、そして最後には想いを通した。

誰が何と言おうとも、「誇り高き持将棋」でした。


棋譜はこちらをどうぞ。

後手番の塚田九段は角道を止め、相矢倉に。

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正直、一番ないと思っていた戦型でした。
なにしろ、対局数がべらぼうに多い。定跡を網羅しているCPUにとってみれば
数ある棋譜の中から先手勝率が高い手を選び続ければ、
自然勝ちになる可能性が極めて高いのではないか。

「序盤に難がある」とされるコンピュータですが、定跡形であれば
基本的には手筋に進みやすいはず。過去3局を見ても
「序盤の穴」は、(第1局はちょっと違いますが)力戦形から
ソフトが考えた結果、生じたものだったからです。

もっとも、定跡が多いということは、駒組みを比較的自動化できるため
人間側の課題である序盤の消費時間を抑えることはできそう。
そういう思惑もあってか、両者とも淡々と手が進む。

この序盤について、塚田九段は対局後の記者会見等で

  • 自分は後手番で横歩を指すことが多いが、練習のCPU戦でほとんど勝てなかった。
  • CPUの弱点は序盤。研究では相矢倉になると、駒組みの段階でCPUが暴発することが多く、そこを突ければと思っていた。結局、自分が暴発してしまったが。

という旨の発言をしています。

実際、ちょっとCPUの無理攻めが出たのでは?と思ったのが下図の局面。

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桂損をいとわず、1三の地点に飛び込み、1筋に傷をつける。
ただ、先手も入手した銀の活用が難しく、従来ではあまり有効ではない攻めという指摘。

ところが、渡辺竜王がブログで指摘しているとおり

相矢倉で桂香を使って端で銀を取り、▲83銀と打つのは古来からうまく行かない、とされている手順のはず。(▲83銀と打ってもすぐに何か取れるわけではなく、効率が悪いから)

それでもこの将棋の場合は△85桂と跳ねた後に9筋が絡まないので後手から有効な手がなく成銀の活用や▲46歩が十分に間に合うから先手良しなんですね。こういった先入観のなさはコンピューターの強みです。

この攻めをつながれ、暴発ではなく、先入観にとらわれない好手順とされてしまいます。
(これは大盤解説の木村八段も指摘していました。)

結果、6三に馬を作られ、次に4一の金打ちで飛車が詰まされる展開に。

それでも、受け将棋が信条の解説・木村八段は、後手も1筋にと金を作っていることから
角を1筋に出して反撃する手順があるので、「まだ後手も戦える」と主張していたのですが

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塚田九段は「きりがない」とみて入玉を目指すことを決断。
入玉系に弱いとされるCPUとの陣内戦を試みます。

もちろん、脱出ルートを確保し、上部脱出を図りながら戦うことは
一般の対局でもよくある話なのですが、塚田九段のそれは徹底していました。
勝ちの目を残す角を自陣に残したまま、ただひたすら入玉を目指す。

これも対局後のコメントですが、塚田九段は

  • 事前研究では、CPUは自玉が危機にさらされる段にならないと入玉を目指さなかったため、と金を成り込みながら攻めていければ、勝つ目もあると思った。

とみて手を進め続け、

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自陣は廃墟にしても、ついに相手陣の飛車を詰ます。

入玉模様になってから、明らかにPuella αは駒の動きに精彩を欠いており
「飛車を敵陣に打ち込めば、一掃も可能になりそう」との
希望が湧いてきそうな一着。

しかし―

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先手玉が上部脱出を図る動きを見せ、一転して絶望的な雰囲気に。
大盤会場では、木村八段の自暴自棄ともとれるコメントに自虐的な笑いも出ました。

その後も先手玉は一目散にトライを目指し

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9一の地点まで逃げ切る。
ここに至り、後手は駒数を確保しての持将棋を目指すよりほかなくなりましたが
大駒を犠牲にして敵陣に入ったため、点数でも大差。
今度こそ本当に投了もやむなし、という状況に。

「事件は起きなかった」「やっぱりだめか」「どうしようもない戦いだった」

そんなコメントが支配する中でも、
希望の糸が垂れているのを塚田九段は見逃さなかった。

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これは168手目の段階ですが、玉を逃がす一連の手順以降、
Puellaは歩を逃がさなかったのです。
「点数を守ったかと思ったら、頓着しないこともある。」

どうやら「玉は逃がす」「大駒は守る」という原則は機械的に覚えさせているものの
持将棋のルール」を理解させているわけではないため、
駒のやり取りで優先順位が狂うことがあるようだ。

考えれば当たり前の話で
そもそも、そのはるか以前に人間対人間の対局では投了しているため
そんなところまで覚え込ます必要はないのです。

しかし、ということは、本来の趣旨である
「玉を逃がす(守る)」ことを優先させる状況を作れば
Puella αは駒を手放すのではないか。

塚田九段が、言語的に、こういうロジックで手を尽くしたかはわかりません。
しかし、指した手は、そういう論理に基づいて指されたということを示唆していました。

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自陣に金を打ち込む。
相手玉に迫ると見せかけ、大駒に玉を守らせ―

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176手目、馬を捕獲。21点、残り3点。
持将棋の提案資格を得る24点獲得は、夢じゃなくはっきりとした目標となり
批判的なコメントは次々に塚田九段への声援へと変わっていきました。

そして222手目、

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ついに24点に到達。解説会場からは大きな拍手が沸きました。
そして230手目で持将棋の提案がなされ、持将棋が成立。
「団体戦ですから、自分が投げることは・・・」
涙の会見に皆が感じ入り、塚田九段の苦闘と執念に大きな拍手が送られました。

2chのまとめによると

288:名無し名人:2013/04/14(日) 02:42:56.13 id:Ifikg5cB
別スレと重複で塚田入玉のまとめ

・塚田さんが入玉したのは、相手陣に切り込んで詰ますため
・大駒を犠牲にしたのは、事前の研究で入玉すればソフトに隙ができて
 乱戦のうちに取り返せる計算だったから

・塚田さんはプエラが入玉対策をしていることを知らなかったので、
 相入玉されたのは完全に予定外
・しかもその時、持将棋の計算でも9点差で負け確実な状態
・その点差を埋めようと動いているうちに、プエラが計算ミスすることを偶然発見

入玉狙いってのは米永戦、コール戦も同じ
棋譜が滅茶苦茶になったのは、一言で言えばプエラの入玉対策がボロボロだったから

普通の棋力があるなら入玉阻止に動くし、入玉後の攻勢力があそこまで落ちないし、
入玉の状態で点数計算ミスをポロポロしない

で、私の感想としては、

このツイートと全く同じです。

付け加えるなら、「想い」が違った。
そして、それは想像以上に、大きな力だった。と思いました。

振り返ってみれば、塚田九段は常に団体戦のことを考えて
アンチコンピュータ戦略を尽くしました。

一見普通に見えた後手矢倉も、「手数を稼ぎながらの暴発待ち」で
失敗に終わったように見えましたが、そもそも入玉を目指すのであれば
先手の▲1三桂成らずは、むしろ入玉を助けたことになる。

入玉されたらうまく指せないという明らかなキズは、
後手番の1筋に負わせたキズよりもはるかに深刻ながら
それを守ろうとする意志は、コンピュータにはなかった。
その瞬間はいいだけの「机上の利」でした。

一方、入玉まで含めて考えるならば
相手にしろ自分にしろ、飛車を振ったらそもそも入玉系にならない。
定跡に誘導したことは、結果として脱出ルートを確保することも意味していました。

さらに、入玉系を早期に決断したために
一手に掛かる時間を管理できた。230手に及ぶ対局となったものの
塚田九段は途中から早差しを続け、30分近く残して終局。

最後は、あきらめない心で「プログラムの穴」を見つけ
ソフトを追い込みました。冗談ではなく、
あと100~200手あれば勝ちに持って行けたと思います。

いろんなサイトでの感想を見ていると、塚田九段については
「将棋で負け、勝負で分けた」という評が一般的なようです。

ただ、こう振り返ってみると、
「戦術で負け、戦略で勝った結果」の持将棋という気がします。
そもそも、後手番であれば千日手持将棋はやむを得ないところだったでしょう。
そういう意味では、次につながる、価値ある引き分けでした。

それをするためには、棋士個人のプライドを捨てなければならなかったが
団体戦として、棋士全体の矜持は残した。

冒頭でも書きましたが、私は相入玉が現実化した時、
はっきりとあきらめていました。
そしてこの「何も起きなかった」対局をどう振り返るべきか悩んでいた。

それは、おそらく、この対局を見ていた大多数の想いだったと感じます。
入玉系になってから塚田九段には
「早々に将棋での勝負をあきらめ、ただの苦し紛れに延々と駒を動かす
プライドのない人間の所業」という内容のコメントが流れたし
「潔く投了しろ」という声も多かった。

誰もが将棋にも、勝負にも、あきらめていた。
と思った。

違った。

塚田九段だけが、あの絶望的な局面で可能性を見ていた。

「何かが起こるかもしれない」という洞察と、
その可能性に賭けようとする想い。
つながなければならないという使命と誇り。

そして、塚田九段は賭けに勝ちました。
決してコンピュータが持ちえない領域で、
棋士らしく。勝負師として。


なんとかつないだ襷は、最終局へ。
どんな結果になろうとも、ここまでの想いが消え去ることはありません。
それは、棋士の想いも、開発者の想いも含めて。

そうやって、将棋が少しずつ
その概念まで含めて、深まっていったらいいなあと
心から思います。