二森日和。

将棋をみた感想。たまにサッカー。ごくまれに雑談。




第2回将棋電王戦第3局 船江恒平五段−ツツカナ 二律背反のデッドヒート。

もう明日は電王戦第4局なのですが。
ただ、「かたちづくり」として、あの第3局について
どうしても書いておかなければ、とか思っていました。

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でも、ただただ時は過ぎ、言葉は紡げず。
結局、見切り発車で、書きながらまとめていこうと。
そんな感じで、書き始めています。

185手の激闘の末、船江五段が投了。
形勢が二転三転した死闘は、ツツカナが制しました。

棋譜についてはこちらをどうぞ。

後手番ツツカナは4手目に7四歩。

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開発者の一丸さんが、あえて定跡を外し
力戦形に持っていくために仕掛けた一手から、
対局は、船江五段が「想定していなかった」変則の角交換系に展開。

ただ、船江五段は「かつて研究したこともある」として
動じずに指し回し、ツツカナの攻めを受け流して
(たとえば38手目△4四角からの角連打)
優位を築いていきます。

午後3時すぎには船江五段が竜と馬を作り
71手目▲2五歩でいよいよ玉頭攻め、
「もう勝負はついてしまうのではないか」
という雰囲気が支配していた74手目に
空気を一変させる鬼手、△5五香。

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居玉で闘っていた船江五段の玉を一閃し、
直前(70手目)に放っていた
9九馬のラインに庇護された天王山の香。
この一手は、船江五段に歩切れを請求し、結果的に攻防の一手に。
加えて、船江五段の持ち時間を大幅に削ることに成功。
形勢もツツカナに一気に触れました。

しかし、船江五段は馬を力づくで抑え込みつつ、
自玉を受け、後手玉の詰みに必要な駒を見定める
粘りの手順で、形勢を詰めていく。

そして放たれた94手目、△6六銀。

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この手については、すでに様々な評論がなされており、

これら記事に任せますが、遠山五段の解説が
やはり将棋の真理を突く棋士らしい。

△6六銀は▲2七角でも▲同竜でも後手がダメなのですが、相手を迷わせる効果がありました。
コンピューターが意識して指したわけではありませんが、将棋の終盤の複雑さゆえに産まれた偶然性による勝負手だったのです。

本譜では▲同竜として先手優勢に持ち込みましたが
▲2七角ならばはっきりと先手勝ちだった、と。
結果的にそれを逃させた△6六銀は、
ツツカナの大きな勝負手となったと見ます。

ともかく、この手を契機に先手が大きく優勢となりましたが
しかし、対CPU戦はここからが至難。
心を折ることなく、時間も特に考えず
ただただ延命と先手玉を詰ますためだけに演算を続ける相手に
一つのミスも許されない。

そして、遠山五段が述べたように、△6六銀▲同竜のために
ゴールにはまだ、距離が残った。
しかも、船江五段には時間がない。

大盤解説をしていた鈴木大介八段が、
「この手をみて安心しました」と述べた
117手目▲1六歩から6手先の123手目、▲2五桂。

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対局後のインタビューで船江五段自身が
「酷かった、将棋になってなかった」と言った手を見て
ツツカナは△2三金打と盤石の受け。

この時点で必ずしもすぐに先手が悪くなるということはないものの
時間を考えると攻めの気持ちが萎えてしまいかねない後手のリフォーム。

時間に震えないCPUならではの手で、形勢は再び逆流。

この先は、時間のない中で両玉頭の詰みを見切る勝負となり
その領域ではコンピュータが二枚も三枚も上手。

大盤、検討室が必死に状況を解きほぐし、
最善手をつかもうとする一方で、
形勢を示すボンクラーズの数値は
大きく後手に傾き、すでに「読み切った」ことを暗に示す。
結果、ツツカナが185手の激闘を制しました。


私はこの激闘を見終えて、
「凄い対局を見てしまった」と素直に思いました。

一方で、対局直後にソフト開発者の一丸さんが述べた言葉
いつまでも残りました。

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「釈然としません。
 秒読みというのは、人間にとって本当に過酷なものだと感じました。」

一丸さんは、ソフトを貸与したうえでの
双方全力での対局を望んでいたように思います。
しかし、結果として棋譜上では秒読みにそれを妨げられてしまった。
そういう風に聞こえました。

その話を聞いて、私はそれからずっと
「なぜ船江五段は負けたのか。」
あるいは、
「なぜ負けなければならなかったのか。」
ということを考えています。

将棋は、相手玉を詰ます戦いです。
しかし、実際には玉を駒台に乗せるまで対局することはありません。
ある局面まで来た段階で、敗者が投了を告げる。

「あきらめたら、そこで試合終了だよ」。

それは、将棋の場合にはもっと苛酷なまでに真実です。
一方があきらめることによって、
そしてそれを相手に告げることによって勝負がつく。

ゆえに将棋では、好むと好まざるとにかかわらず
自らを鼓舞し、相手の心を折る盤外戦術もまた、
大きな意味を持ってきました。

駒音高く打つ、ノータイムで指すほかにも
時間攻めや鬼のリフォーム等々。
それを含めて将棋でした。

しかし、それはコンピュータにはない。
通用しない、という意味ではなく、ない。
純粋に将棋というルールに殉ずる。
だから、時間がなくても平気で終盤を中盤に押し返すし
棋譜の美しさ、潔さを顧みることもない。

CPU戦はそういう相手を殲滅させなければ勝負がつきません。
ただ、それは果たして「将棋」なのか、と。

いやもちろん将棋なのだけれども、「釈然としない」のです。

恥ずかしい話、
たぶん私は、負けを認められていないのでしょう。

激戦に心打たれながらも、あの勝負を船江五段の「負け」と
とらえられない自分がいます。

少なくとも私の中で、△6六銀、▲同竜で将棋の格付けは済んでしまった。

それゆえ、それ以降の部分での勝敗をうまく認めることができない。
それは、第2局の負けとは違う質感で、私の中にずっと残っています。

「自分の弱さ」といった船江五段を含め、
一様に棋士側の負けを認める棋士たちは、本当に偉いなと思います。
サトシンブログの記事にも、とても感動した。
(ちなみに今日の対局で、船江五段は師匠の井上九段に勝利。強かった。)

私はなぜか、そう消化することができず、
それがために自己嫌悪に陥ってしまう位の、
弱い人間だと、改めて思いました。

船江五段は「コンピュータ戦は自分を写す鏡」と言いました。
はからずも、私の弱さもよく映し出されてしまったように思います。
それを認めて、先に進むためにも
ぶざまですが、この記事を残そうと思います。

今後、「将棋という概念」も含めて
大きなブラッシュアップの時期を迎えているのかもしれません。

一方で今回の対局が、異質の存在相手だからこそ、
この対局に、言葉を焼かれるまでにとらえられた、とも言えて。

だからこそ、明日を待ち望んでしまう自分がいる。
それもまた、自分の弱さのように思います。

明日の対局では、さらに厳しい結果が付きつけられる可能性もあります。
それでも、そこにあるはずの心の震えを求めて
そしてひどい目に遭ったとしても。
多分私はその次を求めてしまうんだろうな。

そんな感じで、明日も決戦の日。